ひとのこみなみなまいおどるがいい
人之子啊 不妨起舞
たといいかなるほしのもとにあれども
不论立于何方星球之上
いずこ いずこよりきても
无论 来自何方
それで いずこへもゆけぬ
遑论 将归何处
ほしの ほしのさだめなれば
如若 其为星辰之宿命(我将‘星辰之宿命’理解为被人信仰的宿命,故而下文有人类为信仰星辰而敬呈祝词的语句)
それが なんじがしゅくなり
汝等 无敢不敬呈祝言
かく
此般
したがうものは
凡夫谨遵之物
まつろうものは
俗子敬献之物
だれが それをのぞんでは
无人 不潜怀于囊括此物(这里说的是大家都很想要这种东西,我理解为人类渴望着获得神之躯或者是别的东西)
それの いずるほしのした
遑论 立于何方星球之上
ひせよ されでまつるなくば
秘匿之 废其宗祀亦无妨(秘神摩多罗;你们可以不信仰我,但请把我雪藏;或者说如果你们不信仰我就请把我隐匿起来)
げにも さわりはなされん
当如此 勿行僭逆亵玩之(这里用了敬语,令人费解,不清楚是谁‘亵玩’谁)
そう恨みもて かくは
苦恨兮蔽日遮天
怖れもて かくは
胆寒兮铭心刻骨
お前の宿星
是为汝之宿星(宿星指代神,这是你的神,你要端正态度,可以恨也可以畏惧祂)
流竄れて 交懐れば
流窜宇内兮交怀四方(摩多罗神有贱民之神的神格,因此我认为写的是贱民、流民在流窜并交汇到一地并形成了信仰)
ひととして いのちをもち
先为人 然后享命
うまれたものをなぜ
缘何 掣于生息留存之人(人类被生下来的时候都有生命,为什么人与人之间有区隔呢? 区隔,指有部分人被歧视、差别对待)
隔てて 背負わせる
引区隔渐生 令信仰降临(被歧视、差别对待的人有了自己的信仰)
その碍のあってなお崇めるなら
可因区隔显现而引人崇敬(越是歧视,越是差别对待,他们的信仰只会更加强烈)
神とも神と
众神皆如是
いずこ いずこもしらねど
不知 其踪何匿(这里描写神明的特征)
それが あるとこはしれり
只晓 存于常世(虽然人类看不到神明的存在,但是神明就在人类的身边)
ほしの ほしのおわすなれば
如若 其为星辰之尊座
それが なんじがしゅくなり
汝等 无敢不敬呈祝言
かく
此般
とうときものよ
尊荣显赫之物(插个题外话,以和为贵,无忤为宗的‘贵’用的便是とうとき)
あてなるものよ
风流韵雅之物
だれも それをのぞまずも
即便 无人汲于囊括此物
それが ほしであるならば
但若 其为星辰而炯炯然
げにも おそろしきよにも
诚如此 此世幽幽实可畏(世道艰难,人心险恶,故谓之可畏)
ひして さわりなきことを
秘匿之 此物尊显不可抚
そう崇めてよ かくも
崇敬兮至诚尽谨(对啊,世道都这么难了,你们就来崇拜神明吧)
求めてよ かくも
探求兮如饥似渴(向神明许愿吧,你们想要什么祂都尽量满足)
お前が宿星
今汝即为宿星(点破了你就是宿星)
流竄れて 交懐わらず
流窜宇内兮终不交汇(秘神也随着流民各处流窜,但没有交汇)
かみとして なをもたずに
既为神 不复有名(原本的神是没有名字的,被赋予名字后才有了特定的神格)
うまれたものでさえも
缘何 欲冠我异间之称谓(摩多罗神在辗转于各地时得到了不同的称谓,故而有多重神格)
その名を 背負わせる
引名讳诞生 令信仰交替(因为有不同神格,也就带来了不同性质的信仰)
その礙のあってなお崇めるのか
可因名讳迥异而引人崇拜(是不是瑞士军刀很好用)
遠く遠き世界にも その宿星を未だ
辽迢兮隔世(遥远的世界是哪里呢,结合曲名来看我认为是幻想乡)
全て忘られはせず 負うというなら
若是宿星仍被诉说 吾将往矣(幻想乡里还在诉说着摩多罗的传说)
遠く遠き世界にも その宿星も又た
辽迢兮隔世
全て忘られはせず 輝くのだろう!
若是宿星仍为传颂 吾将绽尽华彩!(来个惊艳的登场,幻想乡短时间内四季交替,人妖皆惊)
強くも 立つがいい
吾需凛然立于此世
娑婆こそが おまえたちが
婆娑忍土(此处)方为汝等 (婆娑在佛教里与净土相对;这里的婆娑读作‘这里’)
生きる現世であるならば
生息留存之现世
背負うは その宿星を
吾将归作宿星
そしてこの世に並び立たんことを
于是 便矗立于常世间
神さえ神とて
既为神 故而为神
かくて
皆如是
神とも神と
众神皆如是