8月11日,芭蕉独自离开松冈前往西边不远的福井,在等栽宅邸宿两夜。等栽正名洞哉,生平不详,是芭蕉过去在江户的旧识。芭蕉在福井没有什么记载,亦未在文中留下俳句。13日等栽亦陪同芭蕉上路南下敦贺。
福井は三里計なれば,夕飯したゝめて出るに,たそがれの路たどたどし。爰に等栽と云古き隠士有。いづれの年にか江戸に来りて予を尋。遥十とせ餘り也。いかに老さらぼひて有にや,将死けるにやと人に尋侍れば,いまだ存命して そこそこと教ゆ。市中ひそかに引入て,あやしの小家に夕顔・へちまのはえかゝりて,鶏頭はゝ木ゝに戸ぼそをかくす。さては此うちにこそと門を扣ば,侘しげなる女の出て,“いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは此あたり何がしと云ものゝ方に行ぬ。もし用あらば尋給へ”といふ。かれが妻なるべしとしらる。むかし物がたりにこそかゝる風情は侍れと,やがて尋あひて,その家に二夜とまりて,名月はつるがのみなとにとたび立。等栽も共に送らんと,裾おかしうからげて,路の枝折とうかれ立。