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【资料】伊庭八郎《征西日记》

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IP属地:上海1楼2015-12-10 01:13回复
    伊庭八郎征西日記
    これは、亡き友・伊庭八郎が、将軍警護の命を受け、西へ赴いた期間中の記録である。元治元年正月に始まり同年6月に終るこの書には、日常の細々したことから、朝詔幕命といった重大なことまで漏れなく記されている。
    この時、八郎は22歳。剣術や余暇などのことも細かく記録されており、文章を読み進んでいくと、おのずとその姿が目の浮かんでくる。もしも、あわせて彼の人となりや品格を1つ1つ列挙したならば、西楚の覇王・項羽ですら面目を失うことだろう。
    壬寅(明治35年・1902年) 中根 淑


    IP属地:上海3楼2015-12-10 01:14
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      2026-03-07 13:34:02
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      3/10~3/22
      3月10日
      朝、島田氏の所へ行き、ご馳走になって9つ半(午後1時)時帰宅。夕方、柴原武雄殿が久々にお越しになり面会。夕食を召し上がってお帰りになる。父上は御番。午後は在宅。忠助と三吉を嵐山へ遣わす。大塚運八が来た。
      同12日
      朝、柴原武雄殿が稽古に来られたので一緒に稽古に行く。午後、不破氏から鶏を二羽頂戴する。湊氏が2人でやって来たので宿で一緒に夕食を食べた。湊氏と忠内氏は外出。夕方、刀屋が来た。戸田栄之助(※二条通で直心影流の剣術道場を開いていた。新選組と水口藩の仲裁をした人と言えばわかる?)の門人と試合をする。
      一 去る14日、勅答書の旨、横浜港鎖港の一条が、御取り扱い不分明につき、一橋中納言が御たずね向かいし所、とりわけ鎖港の成功は是非とも奏すべき條、さらに御書、取り言上の旨、(※一字分空白)まじく候との事。もって別紙、仰せ出され候通り、尽力勉励これあり候ご沙汰との事。
      横浜鎖の儀はつとめて成功を遂げられるベシ。かつまた、諸国兵備の充実にいたり、洋夷の軽侮を絶つべしとの趣を承り候のところ、かくなる上は、総国の守護が緊要の事に候。さしあたり攝海の要港が急務たる上は、神速にその功績あいあらわれ、人心安堵、数年を経ず征夷の実をあいおこない、叡慮を安んじ奉るべしとのご沙汰候の事
      この勅書は、一橋候がたまわったものとのことだが、本当かどうか、よくわからない。
      同13日
      朝、浅香氏、筒井氏と一緒に五条坂へ陶器を買いに行く。帰りに建仁寺を見物し、魚(※虫食いで1字不明)で買物。午後、今堀氏がお出でになる。また、伊庭七郎兵衛殿も砂糖漬け持参でお越しになる。酒を出す。当番なので夕方出勤。
      同14日
      明け番で帰宅。それから稽古に出た。水谷虎之助殿が久しぶりに訪ねてこられたので、昼過ぎまで話をして、錢屋で刀の鍔を買った。代金は3分2朱(※1分は1量の4分の1で2朱は1量の8分の1だから3分2朱は1両の8分の6)。また、昨日、出勤の途中で「雲上明鑑」(※字典)を買ったが、その代金は1朱と100文(※1朱は1両の16分の1で100文は1両の40分の1)だった。
      今日、三分の1の御手当金・14両2分2朱を受け取る。わらじを買い代金を40文ずつ(※片方が40分で1足分が80文ということ?)払う。父上にも同じように御お手当てが渡った。中根氏が訪ねて来た。中根氏から、先日、お城の詰め所で、上様がおなりの時、にわかに鍵をなくしてしまい、難儀したという話をお伺いした。どじょうの代金120文。先日の魚代250文。
      同15日
      朝稽古に出て、昼時に帰宅。三郎、亥三郎と一緒に外出。刀の鍔を買い、浅香氏の所で本を借りる。父上は御稽古に御出勤され夕方帰宅。風呂をたてる。寅三郎殿と虎蔵殿がお出でになった。父上は泊まり番でまたも御出勤。今日から中間が来ることになった。名を重助と言う。
      同16日
      明け方から、御室八十八カ所ならびに御室仁和寺の桜を見物し、4つ時(午前10時)頃帰宅。
      市橋信一郎殿が講武所詰並を仰せつけられる。その件について同じく草伝七郎殿の使者がお礼を申し述べに来た。稽古に出る。昼時に帰宅。今日は御扶持方から御手当てが支給されるというので、父上、戸田氏、中根氏と連れ立って、加藤氏の所に出向いた。
      柴原氏が訪ねて来た。戸田氏の所へ風呂へ入りにいく。今日、槍術方の者は御上覧試合があった。御扶持方から渡された30日分の手当ては5両3分2朱。三枝氏に菓子と鮎を頂戴した。御室でお茶代として24銅(※24文)払った。
      同17日
      当番につき朝5つ時に出勤。浅井氏と筒井氏が同行。父上は三郎と一緒に三条のあたりに買物て行って綿を購入。物価は江戸の方がよっぽど安い。7つ時(午後4時)頃帰宅。筒井氏は居残り。三郎は出勤。夕方、浅香氏の所へ本を借りるための使者を出す(※中間の重吉か?)。児玉に菓子を贈った。夜になってから寅三郎殿がたびたびお出でになる。
      同18日
      朝、父上は頭取の所へお出ましになる。三郎と筒井氏が明け番で帰宅。御奥から特別の理由で2両と拝領の品が下賜されるとのこと。山本萬次郎殿が菓子を持参してお出でになったので、かわりに小菊紙(※コウゾで出来た懐紙の極上品)を3帖(※1帖は10枚)差し上げた。
      4つ時頃(※午前10時)から稽古に出て昼時に帰宅。湊の所へ行き風呂に入り、刀屋「長尾」で目貫を購入。代金は1両。また、本屋で「十八史略(※中国の歴史書を集めたもの)」1分3朱、「利運談」4冊と「女(※3文字不明)」3冊、1分2朱をそれぞれ購入。
      嶋田氏がきたので夕食に酒を出す、三枝氏と近鐘氏がお出でになる。戸田氏にどじょう汁を差し上げる。どじょうの代金は2朱。
      同19日
      朝稽古に出る。午後はお城へ稽古に出勤。7つ時(午後4時)に帰宅。父上は御当番。夕方に浅井氏と筒井氏と三郎が吉松氏の所へ風呂へ入りに行く。柴原氏の兄上がお越しになった。
      同20日
      雨が強いので稽古を休む。午後、山村氏がお出でになる。江戸から干し蛤(はまぐり)と干したばか貝(※別名青柳とも呼ばれる2枚貝)を送ってくる。保之助殿が垪和氏の書状を持ってお出でになる。また、大塚辰三郎殿が竹の子と海苔を持ってお越しになった。ご両人にお酒をお出しする。夕方、お帰りになった。
      同21日
      当番なので、朝、三郎と一緒に出勤。この日は雨。忠内氏は体調不良にも関わらず本日出勤。
      同22日
      晴れ。朝5つ時に帰宅。それから嶋田氏を誘いに行き、嶋田氏、小沢氏、諏訪部氏と一緒に鞍馬山参詣に行く。源義経の冑(かぶと)、同じく義経の太刀、弁慶の太刀を見物。牛若丸が稽古をしたという天狗杉もあった。その後、貴船へお参りに行った。社殿は美を尽くし見事だった。上鴨神社も参詣した。まことに広大。小町寺の少将塚を見て、帰りに上鴨で夕食を食べた。夜6つ時(※午後6時)過ぎに帰宅。今日、湊氏が師範役並を仰せ付けられた。


      IP属地:上海6楼2015-12-10 01:21
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        3/23~4/7
        3月23日
        朝稽古に出る。柴原氏(※柴原武雄)が、主人のお供で26日に帰国することになり暇乞いに来た。稽古場の帰りに忠内氏(※八郎の上司)の宿に立ち寄る。池田様の御内(※御内は所属を意味するもの?)の内山様の所へ先日お見せした鍔と小柄を受け取りに行った。近鐘氏が来られたので夕飯をご馳走した。夜になって寅三郎殿が来られた。父上は夕方から勤番で御出勤。江戸へ書状を出す。
        同24日
        雨。父上が早朝お帰りになる。上様御参内。父上は上様の御先供をするために5つ時(午前8時)にお出かけになった。私共の組は今日の御供はなし。児玉氏の頬(※組)が御供をした。
        先日、鞍馬へ行った時の支払い。三郎(※記録にはなかったが三郎(弟も)一緒だったのか?)と2人で2分1朱。しらす干しと、うるめ鰯を干したものを購入した代金。200文。
        月代を剃る。三牧駒氏がいらっしゃる。浅井氏、三郎と一緒に近鐘氏の所へ行った。夕方になって、忠助(※八郎の用人)と重蔵が迎えに来た。上様は夜9つ時(※12時)にご帰還。大雨でお供をした者は難儀したようだ。旅宿の子供はうそうで(※「うそう」は意味不明)やかましい。
        同25日
        曇り。浅井氏と筒井氏は朝番。阿州藩の西條、下條が来られた。4つ時頃(午前10時)稽古に出たが誰もいなかった。午後、父上が頭取の所へお出かけになる。本屋で「菊地軍記」(※軍記物は八郎の愛読書)を借りる。夕方から当番なので三郎と一緒にに出勤。近鐘氏が懐中物を御堀に落としてしまう。
        同26日
        明け番で朝帰宅。稽古に出た後入浴。水谷虎之助殿がいらっしゃる。8つ時(※午後2時)頃から嶋田氏の所へ行き、酒をご馳走になる。夕方帰宅して塩物を整え竜の小柄を買った。代金3両。
        同27日
        父上は早朝当番。稽古に出る。4つ時頃(午前10時)阿州藩士が来た。加古へ差し上げる書状を届け、三橋氏、忠内氏と供に芳松氏の所へ行って7つ(※午後4時)時に帰宅。大野検氏からの書状。比留氏からの書状、堀池、小森、両氏からの書状が到来。
        同28日
        父上は明け番で朝ご帰宅。稽古に行った。竹垣氏が来られたので、父上は竹垣氏を伴って稽古場へお出でになった。今日は上様がニ條城へお見えになるので、父上はお迎えのため8つ時頃(午後2時)から御出勤。児玉氏の頬(※組)は上様の御共。夕方帰城。
        同29日
        朝番で浅井氏と一緒に出勤。今日、9つ時(※昼12時)に、御供揃いで上様が御参内。父上はお供。柏木氏の頬も御供。7つ時頃(※午後4時)帰宅。三橋雙氏と梶川氏が来て夕食をご馳走してくれた。上様のお帰りは夜8つ時(※午前2時)。父上も8つ時にはお帰りになる。
        同30日
        朝、阿州藩主の家臣・下條氏がお出でになる。中根氏が来て昨日お城で拝領したお菓子を分けて下さった。稽古に出る。帰りに湊氏の宿へ立ち寄り、またも菓子を頂戴。天気は快晴。8つ時(※午後2時)頃、清水氏が来られたので酒をお出しし夕方まで歓談。杉浦氏から二段重ねのお重に詰めた料理が届いた。
        4月1日
        朝稽古に出る。帰宅後、湊氏を訪ね、三条通りあたりへ買物へ行く。詩本と「米アン(※漢字表示不可)千文字」を買い、湊氏に頼まれた「孝経」を求め、7つ時(午後4時)に戻り風呂に入る。三橋氏と佐藤氏がお出でになる。父上は急用でお城へ出向き、そのままお泊り。夕方、忠内氏が当番のお手当3分てを持ってお見えになった。
        同2日
        朝稽古に出て帰宅。父上のお供で西陣へ織物を見物しに行き7つ時(※午後4時)頃帰宅。加多々屋に鰻・代金3分を注文し夕飯に食す。忠内氏がお出でになった。今日は、家に送る書状を認めた。夜、寅三郎殿が訪ねて来たので5つ時頃(※午後8時)まで話をした。
        同3日
        当番につき早朝出勤し居残り。浅井氏は夕方帰宅。
        同4日
        明け番で朝帰宅。それから稽古に出る。柴原氏が来た。父上は御頬(※頬は組みたいなもの)変えで御出勤。扇屋へ行って扇を購入。名古屋扇100疋(1両の4分の1)で7本、女扇2本で700疋。
        同5日
        父上は明け番で帰宅。朝稽古へ行く。父上もお出になる。児玉氏も参加。午後、父上は、三橋氏と一緒に今掘氏の所へお出でかけになる。忠内氏の所へ行ってなめし皮少々を頂戴して夕方帰宅。
        同6日
        父上と一緒に朝稽古に参加。忠内氏の家来・五郎兵衛に頼んで魚類を求め料理。忠内氏、児玉氏、吉松氏、三雙氏がお出でになる。また井戸氏と鈴木氏も見えられたので、酒をお出しする。夕方お帰りになった。井戸氏の所へ風呂に入りに行く。忠内氏から鮎が到来。
        同7日
        曇り。朝、三郎と筒井氏は当番。速水氏と布施氏は外出。父上はお城へ御出勤。自分は稽古に出た。帰宅後、赤貝を購入。代金は1朱。夕方、当番につき、浅井氏と一緒に出勤。雨。八つ時から明け方まで寝ずの勤務。


        IP属地:上海7楼2015-12-10 01:22
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          4/8~4/24
          4月8日
          晴れ。明け番で朝帰宅。水谷氏が暇乞いに来られる。忠内氏もご一緒に、吉松氏の頬(※組)の者が誘いに来たので、4つ時頃(※午前10時)より東寺見物に出かけた。杜若(かきつばた)が花の盛りだった。それから、伏見稲荷神社の神幸祭で御旅所(おだびどころ)へ向かう五基の神輿を見物した。実に美しかった。その後、西本願寺を参拝して、西本願寺の境内にある飛雲閣を見物。太閤秀吉の茶室の他、名人の書画がたくさんあった。最も広大なり。9つ時(※昼12時)過ぎに帰宅。父上は御稽古で御出勤。風呂をたてる。三橋氏と戸田氏と忠内氏がお出でになる。中野氏もお出でになった。父上は夕方御当番。夜になって寅三郎殿がお出でになった。
          同9日
          天気。朝5つ時(午前8時)前に忠内氏の所で会合があった。今日はお城の供回りとして出勤。上様は4つ半時頃、中川宮(※中川宮朝彦親王)の屋敷へお成りになる。その後、近衛殿(※近衛関白)の屋敷にもお成りになった。7つ時(※午後4時)過ぎに御帰城。武者小路通りの小間物屋で一休み、どじょう汁や煮しめを出してくれた。帰りに魚屋によって鯛を購入。代金は2匹で1分。父上も御共で御出勤。この日、脇坂候(脇坂淡路守安宅)がお立ちになる。
          同10日
          晴れ。朝、父上は金毘羅(※安井金毘羅宮)へ参詣。中根氏も同行なさった。朝稽古に出る。父上も一緒に朝稽古にお出になる。稽古の後、忠内氏の所へ風呂に入りに行く。みごとなる桃の菓子を拝領したので忠内氏に差し上げる。吉松氏から先日のお礼(※4月6日にお酒をふるまった件か)として鯛が届いたので夕飯に食す。
          同11日
          朝当番で出勤。浅井氏も同行。御徒目付部屋に参上。三郎と筒井氏は夕番。自分は7つ時(※午後4時)に帰宅。脇差を買い求める。
          同12日
          晴れ。父上は御当番。三郎と筒井氏は明け番。手嶋厚之助殿(京都の町与力の息子)より鶏肉が到来。お返しに小菊紙(※上質の懐紙)を3帖(※30枚)を遣わす。稽古に出る。午後、筒井氏と一緒に大丸及び四条通りへ買物に行き、7つ時頃帰宅。夕方、忠内氏がお出でになった。明日は上様が宇治へお成りになる予定だったが延期になったとのこと。
          同13日
          晴れ。父上は明け稽古に出席。午後、二条城へ学文(※意味不明)にまかり出たが延期になっていた。成瀬氏の所へ入浴に行き、それから湊氏の所へ股引きを借りに行った。中野氏から鯨肉が到来。夕方、忠内氏の所へ行った。
          同14日
          晴れ。早朝、父上ならびに私ども4人は、忠内氏、木戸氏、三枝氏と一緒に比叡山へ登った。八瀬の上り口から、登り道がわからなくなって難儀した。それから、やっとのことで黒谷清龍寺にたどりつき、根本中堂(※比叡山延暦寺の中で最も重要なお堂)と開山堂を見物してから下山した。
          比叡山の門前町である坂本では、山王祭の最中で、近くの村や里から大勢が集まりとても賑やかだった。甲冑(※甲冑を着けての武者行列か)がたくさんあり、神輿はとてもきれいだった。唐崎神社で参拝して唐崎の松(※近江八景の1つ)を見物。実に広大。帰りは山中村を通り、白川越を過ぎて、鴨に出た。□□(※虫食み)町で鯛を三匹買って、忠内氏と木戸氏に一匹ずつ差し上げる。7つ時(※午後4時)頃帰宅。
          同15日
          晴れ。朝稽古に出る。帰ってから加藤氏の所へ行く。8つ時過ぎから湊氏の所へ行き、しるこを馳走になり、風呂へ入ってから帰宅。その後、当番で出勤。児玉氏がおいでになる。今掘氏から鯛が到来。加藤氏からも焼鯛が到来。御手伝扶持を受け取る。5両□(※虫食み)朱。
          同16日
          朝稽古に出て帰宅。池田甲斐守殿の所から迎えの人が来たので稽古に出向いた所、同勤の方が4、5人来ていた。榊原氏も大前氏も出席。浅井氏は大前氏と、私は榊原氏と試合をした。三橋雙三殿が卵を持参しておいでになる。三枝氏も来た。梅干少々到来。父上は夕番で御出勤。
          同17日
          朝、お城へ稽古に行く。七本ほど試合。9つ時に帰宅。三木氏が阿州(※徳島)から江戸に下られたとの由。昼食後、浅井氏、筒井氏、三郎と共に外出。風呂を立てる。三橋氏がおいでになる。中根氏も来られた。稽古着が出来あがった。三橋氏から味噌1升と赤貝7つ(※赤貝を食べた八郎は食あたりでダウン)到来。お礼に菓子を進呈。小川氏、柴山氏、両氏から菓子到来。湊氏の所へ行く。「古文真宝」(※漢詩・文章集)を購入。代金300胴(※1両の40分の3)。
          同18日
          雨。昨夜から体調不良の上、今朝は殊のほか気分が悪く、終日床に伏せった。
          同19日
          晴れ。さらに体調が悪化したので今日の当番をお断り申し上げる。中根氏が見舞いに来て下さる。医者も来た。今日から薬を飲むことになる。湊氏から鮑が到来。吉松氏、三橋氏、三枝駒氏がお出でになる。
          同20日
          晴れ。忠内氏から煮豆到来。他に、木戸氏からカステイラ、三枝氏から雪おこし、戸田から羊羹が、それぞれ見舞いで届く。「墨場必携」を1分2朱で買い、ちぢみの単衣を買い求め、関ノ兼■(虫食み)の脇差を1両2分2朱で購入。
          同21日
          晴れ。早朝、父上は明け番で帰宅した後、戸田氏父子、今堀氏、湊氏と一緒に嵐山辺りへお出かけになった。浅井氏と近藤氏は連れ立って御城学問に出勤。気分がかなり良くなった。父上が桂川で捕られた鮎を持参して戻られたので清水氏へ少し差し上げた。
          同22日
          晴れ。父上は朝から御城の御稽古で御出勤。近藤釜五郎殿がカステイラを手土産にお出でになる。この宿の主である鈴木氏(※京都ニ條所司代屋敷北の定番組屋敷・鈴木重兵衛)から菓子が到来。風呂をたてる。三橋氏がお出でになる。葛が到来。加藤氏より肴が到来。中根氏がお出でになる。不破氏から蜆が到来したので、お返しに菓子を差し上げる。忠内氏がお出でになる。隣家からしるこ少々到来。近鐘氏もお出でになった。
          同23日
          曇り。当番で浅井氏と三郎は出勤。自分は今日も休み。父上は午後から大丸へ買物に出かけられた。大淵氏が見舞いに来て下さった。扇屋が来たので、鉄扇3本、平骨の扇3本、澁扇1本を買い求めた。代金は2分。忠内氏と児玉氏の2人からにしめが到来。天野氏と梶原氏が見舞いに来て下さった。児玉氏にお返しとしてカステイラを差し上げる。戸田氏ににしめを少し差し上げた。父上は大丸で反物を色々と整えられ、私の単衣物も求められた。
          同24日
          晴れ。病は大いに良くなった。浅井氏と筒井氏は明け番。父上は御稽古で外出。呉服屋が来たので浴衣と袱紗を買い求める。中川氏より花菖蒲(はなしょうぶ)到来。戸田氏より煮豆到来。三枝氏と近鐘氏がおいでになった。父上は御当番。弁当料として1分124文を受け取る


          IP属地:上海8楼2015-12-10 01:23
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            4/25~5/4
            4月25日
            昨夜は雨が強かったが今朝は晴れ。父上は早朝明け番でご帰宅。大淵氏(※医者)が見舞いに来てくれた。父上は皆と一緒に稽古に出かけられた。近鐘氏がお出でになったので昼食をお出しする。午後になって髪を結う。沢甚から鰻を1分2朱で取り寄せた。戸田氏がお出でになる。足袋を5足購入。代金は2分。五郎兵衛が頼んでいた鰹節を持って来てくれた。代金は1朱24分。五郎兵衛に鰹節のお礼に足袋を1つ渡す。
            同26日
            晴れていたが午後から雨になった。父上は稽古に出られる。私も今日から見学者として稽古に参加。村上辰太郎殿から桑酒(※桑の葉を使ったお酒)1升到来。父上が忠内氏からしるこを頂いたというので迎えに行くことになり筒井氏(※八郎と同宿)が参上。うどんを買う。夕方、三橋氏がお出でになり「新板よしこのふしの本」(※書籍不明)を下さった。江戸にいる家族にも増御扶持が渡されたとのことだった。
            同27日
            雨。今日は上様がご参内を仰せられていたが延期となった。父上は御城までお入りになる。午後山村氏がおいでになったのでお酒を差し上げた。鈴重殿もお出でになる。鯛を購入。代金は1朱150文。鈴木氏より鯉2匹到来。勝左馬次郎殿がお出でになったので頂きものの桑酒を差し上げた。高坂で「唐宋八大家文」(※「唐宋八大家」とは韓愈・柳宗元・欧陽脩・蘇洵・蘇軾・蘇轍・曽鞏・王安石のこと)を購入。代金は1両1分。注文していた浴衣が届いた。当番で三郎と筒井氏は終日居残り。浅井氏は夕方外出。
            同28日
            雨。父上は御当番。小十人組は剣術の御上覧試合があるというので、父上は6つ半時(午前7時))に交替して勤務につかれた。三郎、筒井氏、浅井氏は明け番。私は湊氏の所に行った。今日から稽古に参加。午後、柴田庄助殿が砂糖漬1箱持参でお出でになった。先日、「古文真寶」を購入してもらった折の本代300文をお渡しする。高坂で「玉篇字引」を購入。代金は1両。昨日は家に出す書状を認めた。大丸呉服店から父上、私、三郎の長襦袢と木綿縮単衣が1枚ずつ届いた。戸田氏の所へお伺いしてしるこを頂戴する。三郎も一緒に行った。三枝駒氏がお出でになった。
            同29日
            雨。本日上様ご参内につき、父上は明け方からお供。忠内氏の頬は警備を受け持ったが私はお勤めなし。中野氏から鶏卵が届いた。稽古に出た。江戸の留守宅から書状が届いた。日暮時に父上がご帰宅。
            5月1日
            曇り。戸田氏がおいでになり稽古にご出席。父上も稽古にお出になった。高坂で「百人一首」を購入。風呂をたてる。吉松氏の所へ行った。先日、村上辰太郎殿に桑酒を頂いたのでお返しに砂糖漬を差し上げる。児玉氏の所へも顔を出した。今日上様は御暇御参内を仰せ出せれたとのことお。医師の大淵へ薬の礼金として100疋を、百々一郎へ50疋をそれぞれお渡しした。
            同2日
            雨。当番で出勤。今日は御暇御参内につき父上は上様のお供。柏木頬が警備を担当。夜五つ時頃お戻りになる。三郎は夕番で出勤。
            同3日
            晴れ。朝は荷物を片付けることになり、今日から稽古は休み。午後、忠内氏と一緒に清水寺と祇園(※八坂神社)へ参詣。五条坂で小さな猪口を3つ購入。代金は100文。菅笠も2つ買い求めた。代金は菅笠1つにつき1朱50文。夕方帰宅。夜になって天野氏、三橋氏、三枝氏、近藤氏がおいでになり、4つ時頃(※午後10時)まで話をした。
            同4日
            晴れ。今朝も荷物の整理。不破氏(※不破道場の道場主)に餞別として扇子2本、加茂の菓子皿、びろうどを頂く。旅宿の主人からも京名所の扇子を10本頂いた。浅井氏と筒井氏にも、不破氏は刀の下げ緒を1つずつ下さり、忠助には金子を下さった。奥詰一同に奥から金子を拝領。戸田氏と父上は別段300疋、その他に、師範役は500疋、教授方は1両、世話心得は300疋、それぞれ拝領。世話心得の拝領金が下されたのは稽古の折に色々と世話になったからである。
            戸田氏がおいでになる。今堀氏と中根氏もおいでになり、旅宿に長々と世話になったというので金500疋と200疋。また、私と三郎からも200疋、それぞれ宿の主人にお渡しする。鯛を5匹購入し、そのうち2匹を不破氏に、1匹を旅宿に差し上げた。5匹で代金は2分3朱。忠内氏がおいでになる。旅宿より蕎麦寿司が到来。夜になって戸田氏がおいでになった。


            IP属地:上海9楼2015-12-10 01:24
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              6/1~6/10
              6月1日
              雷雨。4つ半時(※午前11時)より雨が止み晴れた。午後、忠内氏と一緒に松田氏を訪問。酒をご馳走になって夕方帰宅。
              同2日
              晴れ。夕方は雨。三郎、筒井氏など4、5人は釣りに出かけた。自分は終日在宅。夜、4つ時(※午前10時)頃、御目付より通達あり。講武所方など残りの人員については、大阪に長逗留となって難儀であることから、陸路で江戸へ戻るように。特に講武所剣槍方については6日に出立することとの由。
              同3日
              雨。6日に出立することが決まったので、残りの者たちが、大勢、駕籠を買い揃えているので、私も五郎兵衛に駕籠の手配を頼んだ所、引き戸のついているものであれば3両1分ほどということだった。道中の宿泊料、五郎兵衛に頼んで遣わせおいた代金が2両3朱。午後には晴れた。
              同4日
              晴れ。道中で必要なものを整える。賄い方にも三郎と私からのお礼として2分お渡しする。てんぷらをあげる。夜になってから道頓堀へ見物に行く。
              同5日
              晴れ。明日には荷ごしらえをするので取り込む。賄い方より砂糖到来。家来には金子を頂いた。返礼として、賄いで働いている人たちに祝儀を渡した所、賄い方より家鴨と酒をふるまわれた。さらに天野氏の頬一同からも酒と肴が出た。
              同6日
              晴れ。明け方7つ時(※午前4時)に旅宿を発つ。八軒家のあたりで夜が明けた。佐田、牧方、淀、牧方で中食(※なぜ牧方が2回も出てくるのか不明。佐田牧方、淀牧方という地名?)。
              辺りの景色はとても良い。しかし、激しい暑さで難儀。水野和泉守殿が今日大坂に入られ、途中で行き違いとなる。
              男山八幡宮が見えた。淀で小休止。伏見には7つ時(※午後4時)頃到着。お手当てが1人につき3両1分と少し出た。
              同7日
              晴れ。8つ時(※2時)に出発。道を間違えてひどい目にあう。大津宿で中食。矢走(※現在の滋賀県草津氏矢橋町。昔は渡し舟があった)の渡し舟で草津に到着。草津でまたもや道を間違えて中山道へ出てしまった。東海道の石部宿の手前にある出石部宿に9つ(※真夜中の12時)頃到着。川どめで同地に滞留。
              同8日
              晴れ。ひどい暑さの上、川どめで難儀。終日、退屈だったので、ひまつぶしも兼ねて月代を剃った。笹屋に宿泊。鹿末が茶代を忠内氏にお願い。金額は1人につき1分ずつ。
              8つ時(※午後2時)頃、にわかにお達しがあった。永井主水正殿、岩田半太郎殿、ご両名の押印が入った沙汰書の内容は、京都で騒ぎ(※池田屋の変)が起こっているので、有志の面々はただちに上洛せよというものだった。
              忠内氏をはじめとする18人が、夜6つ時(※午後6時)に石部宿を発ち、早駕籠で明け6つ時(※午前6時)に京都に到着。三条橋の手前で一同駕籠から降りて、町奉行の小栗を訪ねた。その後、槍術方は小栗、剣術方は瀧川の所へ行き、町奉行の案内で油小路に下宿することになった。
              今日、京都より届いた沙汰書の内容は以下の通り
              当地に潜伏致しおり候、浮浪の者は、召し捕りあいなり候えども、なお余類のやからが忍びおり候おもむきがあい聞こえ、これにより、御取締りのため、一同上京の儀、申し渡しの所、ことごとく出立候こと故、強いて差しとどめかね候。しかるにより、あい願い候者、これあり候はば、少人数にても引き返し、御警衛、当分、御勤め候よう、申し渡されるべく候事
              右のおもむき、昨日、大坂表を出立致し候、講武所剣槍方師範役のうちへ、あい達すべく事
              6月7日
              別紙の通り美濃守殿、なされ候間、御書をあい写し差し上げ申し候。以上
              小出五郎左衛門
              岩田半太郎 印
              戸川半三郎
              永井主水 正印
              同9日
              終日、旅宿に滞在。
              同10日
              晴れ。午前は旅宿にいたが、午後は稲葉候よりお達しがあり、この度上洛した講武所剣槍方の面々に、お目通りがあるとのことで、8つ時(※午後2時)に稲葉候の屋敷へ参上した所、早速、お目通り下さり、以下のように仰せ渡された。
              去る5日の夜に、当所にて騒がしき儀、これあり候につき、御取り締まりのために上京致すよう申し達し候ところ、速やかに引き戻し、一段のことに候。この段、取りあえず、あい達し申し候。
              その他、駒井氏へ、上記とは別に、一同への御ほめの言葉が申し渡された。


              IP属地:上海13楼2015-12-10 01:26
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                6/11~
                6月11日
                晴れ。終日、蒔田様の所へお伺いし、伯父様にもお目にかかり、ご馳走になって夜になってから宿に戻った。
                同12日
                晴れ。朝、不破道場へ稽古に参り、今堀氏の旅宿にお伺いして、夕刻より、今堀氏と一緒に、祇園より四条河原へ出て夕涼みを見物。(一字不明=米偏に堯)到来。代金は2分2朱。夜に通達があり、14日に出立するようにとのことだったので、早々に仕度をする。旅宿が酒を出してくれた。
                同14日
                晴れ。本日出立に付き蒔田様の所へお伺いする。殿様より200疋の餞別。垪和氏の所へもお暇乞いに参る。
                一、非常用の(一字不明=米偏に堯)を整え、代金は1分1朱。
                午後出立。熱くて殊のほか難儀。石部宿へ夜5つ時(午後8時)頃に到着。
                同15日
                晴れ。三郎の体調が悪いので私1人後に残り、昼頃、宿駕籠を手配して迎えに行った所、途中で三郎に行き会ったので、そのまま出立し夜5つ時(午後8時)頃までに土山宿に着いた。忠内氏に手紙を出す。宿は粗末。心付けとして200文渡す。
                同16日
                朝5つ時(午前8時)頃、土山宿を出立。坂ノ下を経て関宿に9つ時(12時)に到着。三郎は病気で苦しそうなので関宿に一日逗留。忠内氏に手紙を出す。宿は粗末。亀山で山崎氏の伝言を受け取ったので山崎氏にも手紙を出す。
                同17日
                晴れ。関宿を朝5つ半時頃出立。途中まで山崎氏(山崎雪柳軒=伊庭道場で心形刀流を学び免許皆伝を得た。元治元年に江戸詰めを解かれ亀山に戻った)と大津氏が迎えに来て下さり、すぐさま山崎氏のご自宅にお招き頂いた。
                色々とご馳走して下さった上、お医者まで手配して下さり、誠にありがたかった。
                葛輪氏にお目にかかり、淡成齋様より厚くお世話頂き、お菓子を頂戴。
                夕刻、山崎氏の屋敷を辞去し、ご城下の柏屋という飯屋に宿をとった。
                齋内という御典医を殿様より仰せ付けられ、その他の皆々様もおいでになり、堀池柳外殿もお見舞いに来て下さった。
                同18日
                晴れ。暑さが厳しく難儀。宿へ1朱の心付けを渡す。御医者もお出でになり、御一同より様々のお見舞いを頂く。
                山崎氏と大津氏は日に3、4度ぐらい来て下さる。
                夜、御医者の齋内氏がお出でになる。一本木の薬を頂く。
                同19日
                曇り。今日も菓子を頂く。三郎の病気は少し良くなってきたようだ。
                朝、齋内氏が診察に来て下さる。夕方、山崎氏と一緒に御城内の御稽古場に出席。
                山崎氏より酒肴を頂戴する。堀池氏がお出でになる。
                同20日
                晴れ。早朝、稽古場に出席。齋内氏が、二度、三郎の様子を診に来て下さった上、別の御医者も1人来て下さった。三郎の病気はずいぶんと良くなった。堀池柳外殿より煮豆が到来。源蔵という人から鮎が到来。忠内氏の書状が岡崎より届いた。
                同21日
                晴れ。朝稽古に出席。午後から山崎氏と共に堀池柳外氏の屋敷を訪問し、ご馳走を頂戴して夕方に帰る。山崎氏がお出でになる。三郎の具合は大いに良くなった。殿様より300疋の金子を頂戴。亀山滞在の御賄料を下さると仰せになる。
                同22日
                晴れ。朝稽古に出席。午後、三木助三郎殿が江戸表より帰参なさったというのでお出でになった。菓子を頂戴する。御藩中より見舞物が毎日到来。源蔵という人が駕籠を修理しに来てくれた。山崎氏の所へお伺いして、夕食をご馳走になった後、道堀氏を訪問。
                同23日
                朝稽古に出席。午後大津氏、その他、亀山藩御家中の方々と共に泉川という河原へ鮎漁に行ったが、時節柄不漁に終わる。
                帰る途中、百姓屋で晩御飯を食べた。夜5つ時(午後8時)頃帰宅。
                同24日
                晴れ。朝稽古に出席。今日までにする予定になっていた試合を済ませた後、形を披露。
                福岡氏がお出でになる。山崎氏のご自宅で赤飯を炊いたとのことで、三郎に頂戴。
                三郎と共に堀池氏を訪問し、長々とお世話になったお礼に象牙の箸を差し上げる。夜に帰宅。
                同25日
                晴れ。早朝、忠助を桑名まで遣わす。


                IP属地:上海14楼2015-12-10 01:27
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