翌朝は、みな、たっぷりと朝寝をして、日がのぼりきったころに焚き火をけして旅だった。そして、おもいがけず、昼すこしまえに山道をのぼってきた兵士たちの一团にむかえられたのである。
兵士たちの列よりすこしさきを步いていたトロガイが、まっさきにバルサたちに气づき、ぱっと颜をかがやかした。ジンとゼンは、兵士たちの先头にたっているモンをみて、あわててかけより、きのうのできごとをつげた。モンの颜に、つかのま、心の底からのよろこびのいろがうかんだが、ちかづいてくるチャグムに气づくと、さっと土下座をした。
兵士たちも|铠金具《よろいかなぐ》をガチャガチャならして、いっせいに土下座をした。モンは〈狩人〉の|头《かしら》の颜から、〈帝の盾〉としての颜にかわっていた。目をふせて、彼はチャグムに|言上《ごんじょう》した。
「お命がごぶじでありましたことを、せんえつながらおよろこびもうしあげまする。また、水の神をおすくいになられ、この国の日照りをおすくいになられたこと、一同心よりの感谢のねんに、うちふるえておりまする。われらは、圣祖トルガル帝の再来を|目《ま》のあたりにするという、身にあまる幸运をえました。これより代々、このことはかがやかしい英雄谭としてつたえられていくことでしょう。……皇太子殿下。」
モンの最後の一言に、チャグムが、はっと目をみひらいた。バルサも、タンダも、ジンとゼンも、どきりとしてモンをみた。
「皇太子、と、よんだのか。」
チャグムの言叶は、しぜんに|皇子《おうじ》の言叶づかいにかわっていた。
「はい。かなしいお知らせをせねばなりませぬ。|一昨日《いっさくじつ》の夜、おん|兄君《あにぎみ》、皇太子サグム殿下、病のためにご|逝去《せいきょ》されました。帝より、正式に、第二|皇子《おうじ》チャグム殿下を皇太子とする、とのお言叶がありました。われら、ふかくにも皇太子殿下をおまもりすることができませなんだが、ここより宫まで、皇太子殿下をおまもりもうしあげます。」
チャグムは、胸の底から、ふかいかなしみがわきあがってくるのを感じた。兄サグムの死をかなしんだのではない。べつべつにそだてられ、たまにであったときでさえ、冷たい视线しかよこさなかった兄は、正直なところ、みしらぬ他人としかチャグムには思えなかった。
だが、その兄の死が、まるで铁の衣のように、自分にあらたな运命をまといつかせ、しめつけてくるのを感じた。母君にあえる、と思った。自分はやがて帝になるのか、とも思った。さまざまなことが一气に胸をかけめぐった。——だが、それらの思いは、なぜか、とても远いところで、冷たくまわっているにすぎなかった。
いちばんちかいところにある思いは、たまらないかなしさだった。
チャグムは、バルサをみあげた。バルサが、じっと自分をみつめていた。
兵士たちは、ぎょっとした。皇太子がとつぜん、きたない衣をまとった女にだきついて、身もはりさけんばかりの大声で泣きだしたからだ。
バルサも泣いていた。声はださなかったが、ほおにあとからあとから泪がつたった。
「おれ、いきたくない! おれ、皇太子になんか、なりたくないよ! ずっとバルサとタンダと旅していたいよ!」
チャグムはぎゅっとバルサをだきしめて、さけんだ。バルサは、されるままになっていた。それから、ふいに自分の思いをおさえきれなくなり、ぱっとチャグムをだきあげた。强くチャグムをだきしめて、バルサはその肩に颜をうずめた。
しばらくそうしていたが、やがて、バルサはゆっくりとチャグムをおろした。
「……わたしとにげるかい? チャグム。」
バルサのかすれ声に、兵士たちが、はっと身がまえた。バルサはわらっていた。
「え? ひとあばれしてやろうか?」
チャグムは、バルサをみあげて、しゃくりあげた。バルサがなにをいいたいのか、チャグムにはわかった。
チャグムは、ゆっくりとバルサからはなれ、タンダをみ、トロガイをみた。
タンダは、チャグムの心のうちを思って、颜をゆがめた。——チャグムがいまさとっていることは、わずか十二の少年には、あまりにも苛酷なことだった。しかし、だれにもたすけてやれないことだ。タンダは、ぎゅっと|こぶし《___》をにぎった。
チャグムは目をとじ、しゃくりあげをとめようと、大きく息をすった。おもいがけぬ鲜烈さで、木々のにおいが鼻にすいこまれてきた。しかし、ずっと感じていたシグ·サルアのにおいは、自分のからだからきれいにきえてしまっていた。もう、みようとしてもナユグはみえない。ニュンガ·ロ·イム〈水の守り手〉の卵はいってしまったのだ。——自分のなかで、ひとつのときがおわったことを、チャグムは感じた。
自分でのぞんだわけでもなく、ニュンガ·ロ·チャガ〈精灵の|守《も》り人《びと》〉にされ、いままた、自分でのぞんだわけでもなく、皇太子にされていく。——自分をいやおうなしにうごかしてしまう、この大きななにかに、チャグムははげしい怒りを感じた。
だが、そのいっばうで、みょうにさえざえと、さめた气持ちも感じていた。それは、あのナユグの冷たく、广大な风景のなかで感じていた气持ちににていた。チャグムは生涯、この气持ちを心の底にもちつづけることとなる。
チャグムは目をあけ、かすかにしゃくりあげながら、バルサをみた。
「いいよ。あばれなくていいよ。——あばれるのは、べつの子のためにとっておいて。」
そして、ふとおもいつき、にやっとわらってつけくわえた。
「それ、タンダとの子だったりしてね。」
バルサとタンダがたじろぎ、トロガイがのけぞってわらいだした。
「じょうでき! うまい! こいつぁ、最高だわい。おまえ、なかなかいうようになったじゃないか。」
ひとしきり大わらいをすると、わらいをおさめて、いった。
「おまえ、もう、そこらのおとなよりずっとおとなだぁね。」
チャグムには、この一言が、ものすごくうれしかった。