毎朝7時10分、彼女は必ず南口改札を出てくる。白いリボンが風に揺れるたび、傘立てに立てかけた自分の黒い傘の柄を握りしめる。この距離なら、万が一彼女が傘を忘れた時にさっと渡せる位置だ。
先月の雨の日、彼女が傘をなくしたことに気付いた。図書室の窓から校庭を見下ろすと、彼女が鞄で頭を守りながら走っていた。職員室から傘を借りようか迷っているうちに、彼女はもう校舎の影に消えていた。その晩、コンビニで透明な折りたたみ傘を買った。今でも鞄の底で未開封のまま眠っている。
家庭科室で焼いたクッキーの匂いが廊下に残る木曜日。彼女のクラスが調理実習だと知ってから、この時間帯の掃除当番を三年間続けている。空き缶に挿した桜の枝が、彼女の使ったオーブンから零れたバニラの香りを吸い込んでいるような気がする。
文化祭で彼女が演じたのは、台詞三つの端役だった。舞台袖で小道具の剣を握り締める手の震えを、客席最前列から見ていた。本番中に落とした革手袋を拾い、受付で名前も言わずに預けた。三日後、職員室前の忘れ物コーナーで、その手袋が未だ誰にも引き取られずにいるのを見つけた。
卒業アルバム用の集合写真で、彼女は私の斜め前二列目に写っている。カメラマンの「はい、笑って」の掛け声と同時に、彼女の左肩に止まった鳳蝶が羽を広げた。シャッター音が鳴る瞬間、蝶はもういなかった。あれが幻覚だったのか、今でも判然としな
今日も彼女は傘立ての前で少し足を止める。新緑の匂いがする四月の雨の中、私の傘と同じ型番の水色の傘が、彼女の右肩で小さく跳ねている。距離を測るように五秒数えてから、結局何も言えずに背中を見送る。この繰り返しが、あと十五日で終わるのだ。
先月の雨の日、彼女が傘をなくしたことに気付いた。図書室の窓から校庭を見下ろすと、彼女が鞄で頭を守りながら走っていた。職員室から傘を借りようか迷っているうちに、彼女はもう校舎の影に消えていた。その晩、コンビニで透明な折りたたみ傘を買った。今でも鞄の底で未開封のまま眠っている。
家庭科室で焼いたクッキーの匂いが廊下に残る木曜日。彼女のクラスが調理実習だと知ってから、この時間帯の掃除当番を三年間続けている。空き缶に挿した桜の枝が、彼女の使ったオーブンから零れたバニラの香りを吸い込んでいるような気がする。
文化祭で彼女が演じたのは、台詞三つの端役だった。舞台袖で小道具の剣を握り締める手の震えを、客席最前列から見ていた。本番中に落とした革手袋を拾い、受付で名前も言わずに預けた。三日後、職員室前の忘れ物コーナーで、その手袋が未だ誰にも引き取られずにいるのを見つけた。
卒業アルバム用の集合写真で、彼女は私の斜め前二列目に写っている。カメラマンの「はい、笑って」の掛け声と同時に、彼女の左肩に止まった鳳蝶が羽を広げた。シャッター音が鳴る瞬間、蝶はもういなかった。あれが幻覚だったのか、今でも判然としな
今日も彼女は傘立ての前で少し足を止める。新緑の匂いがする四月の雨の中、私の傘と同じ型番の水色の傘が、彼女の右肩で小さく跳ねている。距離を測るように五秒数えてから、結局何も言えずに背中を見送る。この繰り返しが、あと十五日で終わるのだ。