最近读日语文学,经常能看见这样一种用法,把から当まったく用,但是我在日语辞典里没查到这种用法。
前几天读泉镜花,泉镜花的巡夜警察里有一句,問われて老車夫は吐息をつき、「へい、まことにびっくりいたしました。巡査さんに咎められましたのは、親父今がはじめてで、はい、もうどうなりますることやらと、人心地もござりませなんだ。いやもうから意氣地(いくぢ)がござりません代(かはり)にや,这里的“から”也可说成“からきし”,与具有否定意义的词一起使用,“全く”的意思。
然后今天我在读夏目漱石的虞美人草,又发现了一个用例。
「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を唱えるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の杖つえ で、甲野さんの寝ている頭の先をこつこつ敲く。敲くたびに杖の先が薄を薙ぎ倒してがさがさ音を立てる。
这里的山登りはから駄目だね意思是一登山就完全不行了,这里的から也是からきし的意思,等同于まったく。
请问一下日本文学中这些大文豪的这种用法是把からきし省略成から,是作家自己的独特用法,还是から本身就有まったく的意思。
前几天读泉镜花,泉镜花的巡夜警察里有一句,問われて老車夫は吐息をつき、「へい、まことにびっくりいたしました。巡査さんに咎められましたのは、親父今がはじめてで、はい、もうどうなりますることやらと、人心地もござりませなんだ。いやもうから意氣地(いくぢ)がござりません代(かはり)にや,这里的“から”也可说成“からきし”,与具有否定意义的词一起使用,“全く”的意思。
然后今天我在读夏目漱石的虞美人草,又发现了一个用例。
「おやもう落第か。口でこそいろいろな雅号を唱えるが、山登りはから駄目だね」と宗近君は例の桜の杖つえ で、甲野さんの寝ている頭の先をこつこつ敲く。敲くたびに杖の先が薄を薙ぎ倒してがさがさ音を立てる。
这里的山登りはから駄目だね意思是一登山就完全不行了,这里的から也是からきし的意思,等同于まったく。
请问一下日本文学中这些大文豪的这种用法是把からきし省略成から,是作家自己的独特用法,还是から本身就有まったく的意思。











