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《文化苦旅》之《夜雨诗意》日语翻译

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第六届人民中国杯……
组别:研究生组
项目:汉译日
参考答案:
夜雨诗意(节选)夜雨の詩情(抄訳)
作者 余秋雨
翻訳者 楊晶
光听着窗外夜色中时紧时疏的雨声,便满心都会贮足了诗。要说美,也没有什么美,屋外的路泥泞难走,院中的花零落不堪,夜行的旅人浑身湿透。但正是在这种情境下,你会感受到往常的世俗喧嚣一时浇灭,天上人间只剩下了被雨声统一的宁定,被雨声阻隔的寂寥。人人都悄然归位,死心塌地地在雨帘包围中默默端坐。外界的一切全成了想象,夜雨中的想象总是特别专注,特别遥远。
窓外の夜色に、閉ざされた村雨の音に耳を澄ますだけで、心は詩で一杯に満たされる。美と言ってみたところで、美と言えるほどのものはない。屋外の道はぬかるんで歩きにくいし、庭の花は散々に萎れるし、夜道を急ぐ旅人はびしょびしょに濡れるばかり。だが、まさにこの情景に、普段の世俗的喧騒はひととき消し止められ、天上も地上も雨の音で一体となる安らかさと、それに遮られて寂寥だけを感じる。人々はそっと元の位置に戻り、雨のとばりに包まれた中で、ただ黙々とかしこまる。外界のすべては想像に任されるが、夜雨の中の想像は、時として集中し、はるか彼方に飛翔するものだ。
夜雨款款地剥夺了人的活力,因此夜雨中的想象又格外敏感和畏怯。这种畏怯又与某种安全感拌和在一起,凝聚成对小天地中一脉温情的自享和企盼。在夜雨中与家人围炉闲谈,几乎都不会拌嘴;在夜雨中专心攻读,身心会超常地熨帖;在夜雨中思念友人,会思念到立即寻笔写信;在夜雨中挑灯作文,文字也会变得滋润蕴藉。
夜雨はゆっくりと人間の活力を奪うので、こんなときの想像はひときわ敏感になり、畏怖に満ちている。こういう畏怖は、また、ある種の安心感と混ざって、気心の知れた仲間たちとの団樂を愉しんだり、望んだりするようになる。夜雨の中で、家族の者と囲炉裏を囲んで歓談しても、ほとんど口論にならない。夜雨の中で読書に専念すると、心身共にいつになく和んでいくのだ。夜雨の中で友人を思うと、その思いは、ただちにペンを手にして手紙を書く行動となる。夜雨の灯りのもとで執筆すると、表現もしっとりと潤う。
在夜雨中想象最好是对窗而立。黯淡的灯光照着密密的雨脚,玻璃窗冰冷冰冷,被你呵出的热气呵成一片迷雾。你能看见的东西很少,却似乎又能看得很远。风不大,轻轻一阵立即转换成淅沥雨声,转换成河中更密的涟漪,转换成路上更稠的泥泞。此时此刻,天地间再也没有什么会干扰这放任自由的风声雨声。你用温热的手指划去窗上的雾气,看见了窗子外层无数晶莹的雨滴。新的雾气又腾上来了,你还是用手指去划,划着划着,终于划出了你思念中的名字。
夜雨の中での想像は、窓に面して佇むのがよい。ほの暗い灯りは、密集する雨足を照らし出し、窓ガラスはひんやりと冷たく、君の吐く熱い息で曇ってしまう。見えるものなどあまりないのに、遠目が利くようでもある。さほど強くない風が、さっと一陣吹くと、早くもしとしと降る雨の音に変わり、より密に群がる川面のさざなみとなり、路上の泥海となる。このとき、天地間には、この自由気ままな風の音、雨の音を妨げるものは、もはや何一つない。君は温もった指で、窓の霧をかき消すと、窓の外側に映る無数の透き通った雨滴に見入る。新しい霧が這ってくると、相変わらず指でかき、かいているうちについ懷かしんだその名が現れる。
夜雨是行旅的大敌。倒不是因为夜间行路艰难,也不是因为没有带着雨鞋和伞。夜雨会使旅行者想家,想得很深很深。夜雨会使旅行者企望安逸,突然憬悟到自己身陷僻远、孤苦的处境,顾影自怜,构成万里豪情的羁绊。
夜雨は旅の大敵。それは夜行が厳しくなるからではなく、長靴や傘の用意がないためでもない。夜雨は、旅人に深い望郷の念を搔き立てるからである。旅人は夜雨に安らぎを望み、自分が僻地や孤独な境遇に陥っていることにハッと気づかされ、形と影が共に弔うかのように、遠出に賭けた強い意志がぐらつく。
不是急流险滩,不是崇山峻岭,而是夜雨,使无数旅行者顿生反悔,半途而归。我不知道法显、玄奘、郑和、鉴真、徐霞客他们在一次次夜雨中心境如何,依我看,他们最强的意志,是冲出了夜雨的包围。
無数の旅人に後悔の念を起こさせ、道半ばに引き上げさせたのは、夜雨であり、急流や険峻な山々ではないのだ。法顕、玄奘、鄭和、鑑真、徐霞客らが、度々見まわれる夜雨の中で、どんな心境だったか、知る由もない。しかし、彼らの最も強靭な意志力は、夜雨の包囲網をくぐりぬけたことだと、ぼくは見ている。
如我无用之辈,常常会在大雨如注的夜晚,躲在乡村旅店里,把地图拿出来细细查看。目光在已经走过的千里之间来回寻觅,痴想着其间在夜幕雨帐笼罩下的无数江河和高山。这样的夜晚,我常常失眠。为了把这种没出息的惰怠心绪驱赶,我总会在夜雨中邀几个不相识的旅人长时间闲谈。
ぼくのような小心者は、盆をひっくり返したような豪雨の夜などには、ともあれ片田舎の旅館に引きこもり、地図を取り出し、じっくりと調べるものだ。それまで歩き通した千里の道のりに目を這わせ、夜雨の水幕に霞む、あの数々の河や高山への思いにふける。そういう夜に限って、しばしば不眠症にかかるのだ。夜雨の中で、よく何人か行きずりの旅人を誘って、長々と無駄話をすることで、この意気地のない、だらけた気分を払拭せんとするのだった。
但是,真正让心绪复归的,完全不是这种谈话,而是第二天晴朗的早晨。雨后的清晨,铺天盖地奔泻着一种兴奋剂,让人几乎把昨夜忘却;又不能完全忘却,留下一点影子,阴阴凉凉的,添一份淡淡的惆怅。
だが、気持ちを立ち直らせるのは、翌日の抜けるような青空であって、決してこの種の会話ではない。雨あがりの早朝は、天地を覆い尽くすばかりに興奮剤がまかれたようで、昨夜のことを忘れさせてくれよう。それでいてすっかり忘れることがないように、わずかにその面影を留め、ひんやりした淡い侘しさを添えている。
在人生的行旅中,夜雨的魅力也深可寻探。
人生の旅路においても、夜雨の魅力は大いに探られてしかるべきである。
我相信,一次又一次,夜雨曾浇熄过突起的野心,夜雨曾平抚过狂躁的胸襟,夜雨曾阻止过一触即发的争斗,夜雨曾破灭过凶险的阴谋。当然,夜雨也斫折过壮阔的宏图、勇敢的进发、火烫的情怀。
夜雨は、きっと何度も、猛り狂った野心の火を消し止め、血気にはやる胸の内をなだめ、一触即発の争闘を抑え、険悪きわまる陰謀を捨てさせたに違いないとぼくは信じる。もちろん勇ましい門出や勇敢な出発、はたまた燃えるがごとき熱情をも挫けさせることはあっただろう。
不知道历史学家有没有查过,有多少乌云密布的雨夜,悄悄地改变了中国历史的步伐。将军舒眉了,谋士自悔了,君王息怒了,英豪冷静了,侠客止步了,战鼓停息了,骏马回槽了,刀刃入鞘了,奏章中断了,敕令收回了,船楫下锚了,酒气消退了,狂欢消解了,呼吸匀停了,心律平缓了。
どれだけ暗雲垂れこめた雨の夜が、密かに中国史の過程を変えたことだろう。かつて歴史学者は調べただろうか。将軍の悩みは解消し、軍師は自省し、君主は気を静め、英雄は冷静になり、侠客は踏みとどまり、陣太鼓は止み、軍馬は厩に戻され、剣は鞘に納まり、上奏文は中断し、勅令は撤回され、船は投錨し、酒気は引け、狂騒は消え、呼吸は整い、心律は平穏になる、といったように。
不知道传记学家有没有查过,一个个雨夜,扭转了多少杰出人物的生命旅程。人生许多关节点的出现常常由于偶然。种种选择发端于一颗柔弱的心,这颗心不能不受到突发性情景的执意安排。一场雨,既然可以使一位军事家转胜为败,那么,它也能使一个非军事的人生计划改弦易辙。无数偶然中隐伏着必然,换言之,堂皇的必然中遍布着偶然。人生长途延伸到一个偶然性的境遇,预定的走向也常常会扭转。因此,哪怕是夜,哪怕是雨,也默默地在历史中占据着地位。
一つ一つの雨の夜が、どんなに多くの傑出した人物の生涯を一変させたことだろう。かつて伝記学者は調べただろうか。人生にある種々のターンニング・ポイントの出現は、偶然によることが多いことを。様々な選択は、か弱い心に端を発するものであり、この心は不可逆の突発事態に屈せざるを得ない。一場の雨は、将軍を勝者から敗者に変えることができるし、非軍事的な人生計画をも軌道修正させられる。無数の偶然に必然性が隠されていて、換言すれば、もっともらしい必然性に偶然が見えるのだ。人生の長途が、ある偶然の境遇に伸びたとき、予定された行き先も変更を強いられる。そのため、夜も、雨も、それなりに歴史の一角を黙々と占めているのだ。
如果人生和历史都是拔离了琐碎事物的构建,那么它们也就不属于现实世界。于是人们每时每刻遇到的一切,都可能包孕着恢宏的蕴涵。诗人的眼光,正在于把两者钩连。夜雨中,人生和历史都在蹒跚。
もし、人生も、歴史も、細々とした事物が構築されずに存在するとすれば、それはもはや現実の世界から離れたものとなる。すると、人々が時々刻々に出会う諸々の事象が、常に計り知れないものを含んでいる可能性があるのだ。詩人の目は、まさに両者を結合させることにある。夜雨の中を、人生も歴史も、よろけながら進むのである。
……
因此,再现代的人也愿意一再地在“蜀山行旅图”中把延绵千年的生命力重温一遍,愿意一再地品味苦涩的夜雨,然后踩着泥泞走向未来。
したがって、いくら現代化した者といえども、《蜀山行旅の図》で、脈々と千年も受けつがれた生命力をいま一度温め、苦渋に満ちた夜雨を繰り返しかみしめた後に、ぬかるみを踏みつけて未来に向おうと願うのだ。


1楼2023-10-18 01:08回复