第864話 止まらない思い
「はぁ……ようやく、仕留めたか」
倒れたマリアベルの首なし死体に、『極悪食』を深々と突き立てる。傍から見ればオーバーキルの死体損壊でしかないが、相手は使徒だ。というか、使徒でなくても首を落としても反撃してきた奴らが沢山いるからな。
念を入れて体の方にも追撃をかける必要性を、俺の実戦経験が証明してくれている。
しかしながら、今回はそれも杞憂に済んだ。
ちょうど心臓のある位置を貫いている『極悪食』の牙は、体に残された魔力をすぐに吸い尽くし、ここにあるのは何の力も宿さない単なる遺体であることがはっきりと感じられた。
やはり、死ねば魂から供給されているらしい、白き神の白色魔力も停止するのだろう。無限の魔力供給が途絶え、あっという間に干上がってしまうのであれば、マリアベルは元々、それほど魔力量に優れていたワケではなかったのかもしれない。
凡庸な能力であっても、使徒となれば絶大な力を授かってしまう。授かった以上は、神の為に戦わなければならないが……マリアベルは戦いに向いた奴ではないと思う。ミサの方がまだ適正があるだろう。
あるいは戦いの才能がない故に、召喚術の特化能力イグジストを授かったのかもしれない。
「恨むなら、そんなお前を使徒に選んだ神を恨んでくれ」
ただの少年でいられたはずなのに、という憐みの気持ちも今でこそ湧いて来るが、かといって後悔など一切ない。使徒である以上、必ず殺さなければ、俺達に未来はないのだから。
思えば、初めて使徒を完全に殺した偉業を成し遂げたワケなのだが……やはり、大した達成感や満足感もなく、俺はただの疲労感と共に『首断』と『極悪食』を影に仕舞った。
「クロノくんっ!」
「うおっ、ネル……」
俺が武器を収めるタイミングを待っていたかのように、ネルが勢いよく飛び込んで来た。
今さっき使徒相手に真剣白刃取りという達人技を決めた人物が真正面から飛び掛かって来ることに思わず警戒心が先に立ってしまったが、彼女の弾けるような純粋な笑顔を見て、回避するなどとんでもない、と思い直す。
飛び込んで来たネルを正面から受けて立ち、俺は彼女の熱い抱擁を受ける。
「会いたかった……ずっと、会いたかったです……」
正に感動の再会、というやつだろうか。
ネルは感極まったように声を漏らしながら、ギュっと強く抱きしめて来る。
普段なら、ここまで激しい感情表現に恥ずかしさの方が先に立つものだが、今回ばかりは俺としても再会の喜びの方が強い。迷うことなく、ネルを抱きしめ返した。
「ネル、無事で良かった」
マリアベルの最期には感じられなかった達成感というものを、俺は今ようやく感じられた。失ったものを、取り戻すことができたのだ。
「嬉しいです。クロノくんが、私を助けに来てくれて」
正確なところを言えば、色々な事情はある。
アヴァロンを攻める好機と判断したこと。解放に足るだけの条件が揃ったこと。単独のマリアベルと聖杯の脅威。決して、囚われのお姫様を助け出す、というシンプルな理由だけで始めた戦いではない。
けれど、今そんなのは些細な事。言うだけ野暮というものだ。
何より、つまるところ俺がアヴァロンへ来た一番の動機は、ネルを助けるためなのだから。
「ああ、助けに来たぞ。でも、結局ネルは自分で出て来れたみたいだけど」
これで閉ざされた扉を蹴破って、迎えに行ければカッコもついたんだが。
使徒を追い詰めた最後の戦いで、自分からやって来ては一撃かましたのだ。勇ましいことこの上ない。
「ううん、いいんです。そんなことは、どうでも……クロノくんの気持ちは、分かっていますから」
「そうか。そう言ってもらえると————」
「そんなにも、私のことが欲しかったのですね」
「————んん?」
「危険なアヴァロンに攻め込んでまで、私を求めてくれるなんて……うふふ、囚われのお姫様も、悪くないですね。御伽噺のようです」
なんか話の矛先が妙な方向に向いていないだろうか。
上目遣いに俺を見上げるネルの瞳は、異様なほどにキラキラ輝いている。というか、まだ加護の力が発動中なのか、普段は青い目の色は赤い光を放っているのだが……今は赤というよりピンクっぽい気がするし、心なしか瞳の中でハート型に輝いているような……
「ここまでされてしまったら、私もその思いに応えなければなりませんね」
「え、いや、そこまでは」
「いいんです、それ以上、言葉はいりません。クロノくんはもう十分に、行動で示してくれましたから」
なんかちょっとまずい雰囲気になっている気がする。
落ち着こう。一旦、落ち着いて話し合おう。
そのためにこの密着状態からまずは離れ————離れねぇっ! ビクともしねぇぞ、どうなってんだ。
「クロノくん」
「あっ、はい」
逸らした視線が、再び俺を見上げるネルの目と合う。
今度は首も動かなくなった。もう目も顔も、ネルから背けることはできない。
きつく抱きしめられて、体勢を固められたことで、絶対に逃がさない、という意思がひしひしと感じられる。
「私を救い出してくれた、白馬の王子様————いえ、黒竜に乗った魔王様」
桃色に輝く瞳で恍惚とした微笑みを浮かべたネルは、俺を真っ直ぐに見つめて告げる。
「私も愛しています。結婚しよ」
「なっ————んぶ!?」
その告白に、何かを言い返す隙もなく、唇が塞がった。熱烈なキスが炸裂する。
回避も防御も、一切の余地がなく、俺は直撃を許すより他はなかった。
「ん、んんっ!」
色っぽい呻きを漏らしながらも、ネルは決して離れない。熱い舌先が、口の中を暴れ回る。
経験がなければ、頭が真っ白になりそうな激しく深い口づけ。
だが幸いというべきか、すでに経験のある俺はネルの必死さすら感じさせるキスを受け入れたまま、ようやく思考が追いついて、気づかされた。
ああ、そうか……ネル、俺のこと好きだったのか……
「んんっ————ぷはぁ!」
長いこと口を蹂躙してくれたネルが、もう限界とばかりに口を離した。
息、止めてやってたのか。真っ赤な顔で大きく息を吸うネルが、やけに可愛いらしく見えた。
「ネル、ちょっと落ち着け」
「はぁ……はぁ……ああ、これがクロノくんの味……もっと、もっと感じさせてください」
あっ、ダメだコレ。全然落ち着けない状態だ。
ロマンチックなシチュエーションで、慣れないキスまでして相当に興奮してしまっているのか。目の前の俺を見てはいるが、声は聞こえていないようだ。
「んんー、はぁ……美味しい……美味しいです……」
うわ言のように囁きながら、ネルが俺の首筋や頬にも唇を落とし、ついでとばかりに舌も這わせてゆく。
相手が相手で、気持ちも気持ちだ。無下に突き放すことはできず、夢中になって顔を寄せて来る彼女のされるがまま。
「クロノくん……脱いで」
しかし、流石にそろそろ限界だ。
ネルの両手が、俺の脇腹を探るように撫でてゆく。『暴君の鎧マクシミリアン』は古代鎧だから、普通の鎧みたいに留め金やベルトで固定されているワケではない。外せば脱がせられる、という構造にはなっていないのだが、今のネルは放っておけば破壊してでも剥いでやるという気概を感じないでもない。
「脱いで……もっと、貴方を感じさせてください」
「待つんだ、ネル。そろそろ落ち着いて、まずは一旦離れよう」
「恥ずかしがらなくても、いいんですよ。私達の思いは、もう通じ合っているのですから」
いや恥ずかしいは恥ずかしいけど、そういう意味ではない。
そもそも脱いでどうするってんだよ。屋上だぞ。アヴァロン王城の天辺の野外ステージである。万が一にでも、このままの流れに身を任せて良い場所ではない。
「しっかりしろ、今はこんなことしてる場合じゃないんだぞ」
「いいじゃないですか。だって私とクロノくんは結婚するのですから。もう、我慢しなくていい……嫉妬もしなくていい……クロノくんのこと、いっぱい愛して————」
「えい」
ブチィ!! という無慈悲な音が、
「ピギャアアアアアアアアッ!?」
ネルの悲鳴も響いた。
その瞬間、何が起きたのか背を向けていたネルには分からなかっただろうが、正面に陣取る俺には全てが見えた。
「サリエル……それはちょっと酷くないか?」
「緊急を要すると判断した。手段は選ばない」
どこまでも冷え切った無表情で、サリエルは手にした純白の羽根の束を、パラパラと手落とした。
俺がマリアベルの首を飛ばした時には、サリエルがペガサスでここに降り立っていたことは気づいていた。
墜落した巨大天使をベルクローゼンと地上部隊に任せ、サリエルは俺の方へとすぐに駆け付けたのだ。すでにボロボロだったマリアベルに対して、俺が無理に攻めなかったのはサリエルを含めて仲間の到着を待ったからでもある。
使徒である以上、どこまで追い詰めても最後まで油断はできない。万全を期して、と思っていたが、先にネルが決定的な一撃を決めてくれたので、無事にトドメを刺すに至った。
ともかく、増援一番乗りを果たしたサリエルは、マリアベルの生首を小脇に抱えたまま、俺とネルが感動の再会を果たしたシーンを邪魔することなく黙って傍観していてくれたのだが……ネルが暴走し出したので、仕方なく止めに入ったといったところ。
俺に夢中になっているネルの背後から、音もなくサリエルが近づき、彼女のトレードマークである白い翼から、まとめて羽根をむしり取ったのだ。その手付きは、仕留めた野鳥を調理する下ごしらえのように、一片の慈悲も容赦もなかった。
「さっ、サリエルぅ……!」
むしられた箇所の翼をさすりながら、ネルが怒りでギラギラとした赤い光を宿す目で、サリエルを睨みつけた。その眼差しは、ガラハド戦争で第七使徒に挑む俺と大差ない迫力だ。
「自分が何をしようとしていたか、自覚するべき」
「私はクロノくんと結婚するんです! 愛する二人の邪魔をするなんて、許せませんよっ!!」
「時と場合を考えるべき。ここは、まだ戦場です」
「ぐっ、ぐぬぬ……」
眉一つ動かさずに冷酷にド正論を浴びせるサリエルに、流石にネルも頭が冷えたようだ。
怒りの眼差しは一転、悲し気に眉根を寄せて、俺の方へと顔を向けた。
「ううぅ、クロノくぅーん……」
「ネル、今は王城を制圧するのが優先だ」
「そ、そう、ですよね……ごめんなさい……」
そりゃそうですよ。と喉まで出かかったが、これ以上は言うまい。
とりあえずネルが正気に戻ってくれたなら、今はそれでいい。先ほどの熱烈な暴走ぶりを、俺は努めて忘れることにした。
「ネルの気持ちは分かったから、全て終わった後、ゆっくり話し合おう」
「はい! 二人きりでっ!」
「あ、ああ……」
話し合うだけだからな? そんなに期待に満ちた目をされても、応えられるかどうかは分からないぞ。
少なくとも、これはもう俺が一人で自分勝手に決めて良い話じゃあないからな……
「それでは、アヴァロンを裏切った不届き者を成敗しに行きましょうか」
緩み切っただらしない笑顔から、瞬時にキリリと引き締まった凛々しい顔に変わる。
使徒は死に、巨大天使も落ちた。
こっちにはネルが戻り、黒竜という最強の空中戦力も得たのだ。
王城攻略は、夜が明ける前には片付くだろう。