首先是原文,大家可以作为参考。
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いく」と「ゆく」の违いは何ですか?
「いく」と「ゆく」とは、上代(奈良时代)から両形が用いられてきました。当时の用例では「ゆく」が圧倒的に多数ですが、「いく」の例もあります。『万叶集』では「いく」の系统に、「伊可(行か)」が2例、「伊加(行か)」が3例、「伊久(行く)」、「伊気(行け)」各1例の计7例が确认されます。
古语での「いく」と「ゆく」との使い分けに関しては、「いく」を主に意志的な动作に使い、「ゆく」を主に自然な事象の推移に使うと见る考えがあります。しかし、万叶集に「我が兄子《せこ》は玉にもがもな手に缠《ま》きて见つつ行《ゆ》かむを置きて往《い》かば惜し」(巻十七3990:表记は『校注国歌大系』による)という例(同じ歌に両方の形があるもの)があり、确実なことはわかりません(但、东歌などに「いく」が见られることから、「ゆく」より「いく」が卑俗なイメージを持っていたのではと推测することはできます)。
また、「いく」の方が歴史的に新しい形だという说があるものの、逆に「いく」を古形とする解釈もあり、歴史的な発生の先后関系についても确実なことはわかりません。
「いく」と「ゆく」との违いは、意味や発生においては明确にできませんが、「ゆく」に促音便の「ゆって」という形がない(但、训点资料ではイ音便の「ゆいて」の例があります)という点では明らかです。「いく」に促音便の「いって」があり、「ゆく」にないということは、両者が异なる环境(ジャンルやスタイル)で用いられる倾向があったことを示しています。音便に関しては、和歌で他の文章より例が少なく、训点资料(汉文)で特殊な形(特殊な音便形)が使用されるなど、ジャンルによって现われ方に违いのあることが知られています。また、文章语と口头语とのスタイルの违いによっても音便形の出现に违いがあると考えるのが自然です。音便は、より発音しやすい形へと语形が変化する现象と见なしうるものですから、音便形の有无は口头语での使用频度を反映するものと推测することができるのです。
実际に、「いく」と「ゆく」との用例を见ると、室町时代を过ぎるまでは「ゆく」が一般的で、特に和歌や训点资料(いわゆる汉文体の书き言叶)では「ゆく」が圧倒的に多くなっています。逆に、中古の和文系の资料(源氏物语など)では「いく」の例もかなり见られます(ただ、全体的には「ゆく」が优势です)。その后、近世になると、「いく」は口头语を中心に用いられるようになり、次第に「ゆく」を凌驾してゆきます。现代语でも「いく」がより口头语的だという语感があると思われます。そのため、现代语でも「去りゆく(季节)」「散りゆく(桜)」など文章语的な色彩の浓い表现では「ゆく」が使われ「いく」とはいえません。
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いく」と「ゆく」の违いは何ですか?
「いく」と「ゆく」とは、上代(奈良时代)から両形が用いられてきました。当时の用例では「ゆく」が圧倒的に多数ですが、「いく」の例もあります。『万叶集』では「いく」の系统に、「伊可(行か)」が2例、「伊加(行か)」が3例、「伊久(行く)」、「伊気(行け)」各1例の计7例が确认されます。
古语での「いく」と「ゆく」との使い分けに関しては、「いく」を主に意志的な动作に使い、「ゆく」を主に自然な事象の推移に使うと见る考えがあります。しかし、万叶集に「我が兄子《せこ》は玉にもがもな手に缠《ま》きて见つつ行《ゆ》かむを置きて往《い》かば惜し」(巻十七3990:表记は『校注国歌大系』による)という例(同じ歌に両方の形があるもの)があり、确実なことはわかりません(但、东歌などに「いく」が见られることから、「ゆく」より「いく」が卑俗なイメージを持っていたのではと推测することはできます)。
また、「いく」の方が歴史的に新しい形だという说があるものの、逆に「いく」を古形とする解釈もあり、歴史的な発生の先后関系についても确実なことはわかりません。
「いく」と「ゆく」との违いは、意味や発生においては明确にできませんが、「ゆく」に促音便の「ゆって」という形がない(但、训点资料ではイ音便の「ゆいて」の例があります)という点では明らかです。「いく」に促音便の「いって」があり、「ゆく」にないということは、両者が异なる环境(ジャンルやスタイル)で用いられる倾向があったことを示しています。音便に関しては、和歌で他の文章より例が少なく、训点资料(汉文)で特殊な形(特殊な音便形)が使用されるなど、ジャンルによって现われ方に违いのあることが知られています。また、文章语と口头语とのスタイルの违いによっても音便形の出现に违いがあると考えるのが自然です。音便は、より発音しやすい形へと语形が変化する现象と见なしうるものですから、音便形の有无は口头语での使用频度を反映するものと推测することができるのです。
実际に、「いく」と「ゆく」との用例を见ると、室町时代を过ぎるまでは「ゆく」が一般的で、特に和歌や训点资料(いわゆる汉文体の书き言叶)では「ゆく」が圧倒的に多くなっています。逆に、中古の和文系の资料(源氏物语など)では「いく」の例もかなり见られます(ただ、全体的には「ゆく」が优势です)。その后、近世になると、「いく」は口头语を中心に用いられるようになり、次第に「ゆく」を凌驾してゆきます。现代语でも「いく」がより口头语的だという语感があると思われます。そのため、现代语でも「去りゆく(季节)」「散りゆく(桜)」など文章语的な色彩の浓い表现では「ゆく」が使われ「いく」とはいえません。


