堺桑弟弟堺辉去年12月31日在博客上写的关于奶奶去世的内容。
原文网址:
http://bitter-coffee.jugem.jp/?month=201412仆が生まれて半年ほどして
仆のじいちゃんが亡くなりました。
から、じいちゃんとの思い出は
ほぼゼロ。
だけど、よくばあちゃんが
「じいちゃんの生まれ変わりじゃ」って言ってました。
厳密には
仆が生まれてから亡くなってるので
生まれ変わりじゃないんだろうけど
いいんです。
ばあちゃんだから。
そんなばあちゃんが
年末、95歳の天寿を全うして
天に召されました。
クリスマスにお葬式だなんて
かわいい。
小さい顷
游びに行ったら、だいたい畑に出てて
道路からばあちゃん见つけて
ばーちゃーーんって呼ぶと
ひょこっと颜向けて
ニカって笑う。
ネギだか、らっきょの匂いのプンプンする手で
こっちこっちってして
お茶とかジュース饮ましてくれた。
帰りにこっそり、
ティッシュに夏目漱石包んでくれて
「ナイショぞ」って渡してくれた。
仆が东京に出てからは
体も思わしくなくて
なんかの拍子に帰ると
「今何しちょっとか?」って闻いてきて
「歌を歌いよるとよ」って
なんとなく后ろめたいような
そこはかとない焦燥感の中で答えてた。
「食えよるとか?」って闻かれても
「なんとかやりよるから大丈夫よ」って
适当に答えてた。
そう答えると
「そうか、そうか」って
目に涙浮かべてた。
そんなばあちゃんが
亡くなりました。
そんな仆は今日、
天気予报を信じずに
洗濯物干しっぱなしで出ちゃって
雨云が出て来たから
キミスタのお扫除切り上げて
急いで帰るも
再び雨ざらしにさせちゃうし
家着いたら止んでるし
年越しそばとかめんどくて
あさりのパスタとか作って食べちゃうし
灯りつけたまんまちょっとソファに横になったら
いつの间にか年明けてたし、
もう全然ちゃんと出来てない。
ばあちゃんごめんねー。
もうちょっと顽张るわー。
奇しくも
ウチの双子が生まれてから
ほぼ半年。
因縁めいたものを感じるって言ったら
都合いいけど
なんとなくばあちゃんが
この世にあいつら送り届けてくれたんだろうなって
そう思うことにしました。
というわけで
丧中につき新年のご挨拶は
控えますが
今年もよろしくお愿いします。
翻译如下:
差不多是我出生半年之后,我的爷爷就去世了。所以对于爷爷的回忆,几乎为零。
可奶奶却常说“你是爷爷的转世投胎。”严格说来,爷爷是在我出生以后才去世的,所以我应该不是他转世投胎来的吧。不过也没所谓啦,因为这是奶奶的想法。
这样的奶奶,在年底的时候,被上天召唤而去,享年95岁。
是在圣诞节举行的葬礼,真是可怜。
小时候,我出去玩的时候,大体上穿过田地,从道路这边就会看见奶奶。
我只要一喊“奶~奶~”,她就会轻轻转过头来,朝我微笑。
然后挥舞着满是葱或者野韭菜味儿的手,招呼我过去,给我茶水和果汁喝。
要回家的时候,她会用餐巾纸包好一张一千日元的纸钞递给我,跟我说“要保密哦”。
我去东京以后,身体不是太好,隔三差五回乡的时候,她会问我:“现在在做什么?”
“在唱歌。”回答的时候总觉得有点儿像是心虚的焦躁感。
“有好好吃饭吗?”当被这样问的时候,也是随便敷衍着回答:“有活干,所以没问题。”
听到我这么说,她就会说“是嘛,是嘛”。
我的眼中泛出泪花了。
这样的奶奶,已经离我而去了。
这样的我,今天不相信天气预报,把洗好的衣物晒在外面就出门了。
看到乌云堆上来,就结束了在Kimi-st(位于静冈县沼津市的音乐工作室,堺辉在那儿当吉他老师)的扫除。
虽然赶紧往回赶,还是再次被雨淋了。
一到家雨就停了。
觉得做除夕夜荞麦面很麻烦,所以弄了蛤蜊炒意大利通心面吃。
开着灯就那样往沙发上一躺,不知不觉间就到了新年。
我完全没在好好过啊,对不起,奶奶。
要再加一把劲啊~
奇怪的是,距家里的双胞胎出生,也差不多过了半年。
要说有种因缘际会的感觉的话,其实应该只是碰巧。不过,我总觉得是奶奶把这两个小家伙送来的。
所以,因为还在服丧中,没法好好向大家恭贺新年,今年也请多多关照了。