黒田家ゆかりの兜(本歌三点とレプリカ)大水牛兜は黒田家の象徴(シンボル)であり、
キリシタン大名ならではのデザインといえる!
黒田孝高・长政に浦野若狭守の息子(加助)が献上したのが始まりと记录される。
幕末に浦野家が火灾にあった际は黒田家からすぐに长政のものが
赠られてもいる。ちなみに福岛正则に譲り、幕末に黒田家が买い取った大水牛兜は
「黒き水牛」と记录されており、金石饼前立の无い方の兜である。
つまり、黒田长政の大水牛は三头现存している。
石饼は黒田家の纹であり当然のことなのだが、中途半端な知识でネット上では
黒田长政所用の大水牛が福岛正则所用として书き连ねられている。
福岛正则と藤堂高虎には使用を许し、
徳川家康と九鬼嘉隆は晩年に别デザインのものを作らせている。
格好が良いということで、江戸期には他家で作られた小さい水牛兜を
见かけるが、伪物のなんと多いことかビックリしてしまう。
黒田孝高の合子兜は黒田騒动で有名になったが、最晩年、
関ヶ原合戦时に使用されたもので、それ以前にこのような
酔狂な変わり兜は作られていな



母里太兵卫兜の前立は大きいが黒田美作の脇立はさらに巨大!!

↑羊歯の兜は现在银箔が酸化して真っ黒だが当时はこういう色であった(レプリカ)



黒田如水・长政を祭る戦前の光云神社全景
↑戦前に公开された二头(现在行方不明)














