永禄7年(1564年)、北条方の太田康资の内通に応じて、义尧は义弘と共に敌対する千叶氏の重臣高城胤吉の势力圏にあった下総の国府台に侵攻し、北条军を迎え撃った。绪戦では北条方の远山纲景・富永直胜を讨ち取るものの、一时の胜利に酔いしれて油断をした里见军は、翌明け方、氏康の奇袭と北条纲成との挟撃を受け、重臣正木信茂が讨死するなどの大败を吃した(第二次国府台合戦)。この败戦により义尧・义弘父子は上総の大半を失い安房に退却し、里见氏の势力は一时的に衰退することとなる。
好好看看……死的是谁……然后再看看谁赢了……